ブログ「もみじ市民ホール」
私の身の回りの記事

本当にあった怖い話

2019
08/20
葬祭部の門脇です。

台風も過ぎまだまだ暑い日が続きますので、少し涼しくなる自分の実体験をさせて頂こうかと思います。この仕事を長くしていて、一番か二番目に多く周りから聞かれることが『幽霊見た?』です。

率直に言いますと2度見たことが有ります!

その内の片方をお話しますが、あまり怖いという話ではありませんが、
そういった話が苦手な方はお気をつけください。


以前、勤めていた葬儀社での事です。
その日は当直で電話番をしていた時に、お客様より故人様の搬送のご依頼があり、夜中の1時半に病院まで迎えに行き、ご自宅までお送りする途中の事でした。
2時過ぎ頃、車には家の方が一緒に乗っておられ故人様のお話をしながら運転している時、不意に前方の左上くらいに周りが青く,中が赤く光っている球体が二つ空を左方向に飛んでいくのが見えました。何故か自分はその時それを火の玉と思う事が出来ず、ずっと流れ星だ!と思い『お金持ちになれますようにお金持ちになれます...(略』願い事をしていました。
しばらくするとお客様から『今のって・・・火の玉ですよね・・』と言われ、初めてそれが火の玉と気づくと、全身から血の気が引き鳥肌がぶわっと立ち急に怖くなりました。

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その後、ご自宅に安置し葬儀の日時設定したあと普段ですと、日にちも空くので落ちついてから打ち合わせという形になるのですが、お客様も家で1人、自分も会館に1人になるので、すぐ前に火の玉を見ていて怖かったのも有り、少し照れながら意見一致で打ち合わせした時の事は今でも鮮明に覚えています。

後日、火の玉を見た場所から近くに住んでる同僚に話しをすると、その火の玉を見た場所で何年か前に交通事故で2人亡くなったと聞き ハッ! と一時期その道に花が供えられている事を見たことを思い出しました。見た当事者としては背筋の凍る情報でした。


以上になります。そこまで怖い内容ではないので申し訳ないのですが、自分としては良い経験だったなと思っています。葬儀社で働いて10年ちょっとですが、こういった体験をするまで幽霊などに対してまったく信用していませんでした。
自分自身『葬儀』という関係の仕事をしていると、どうしても他の仕事をしている人以上に体験する可能性がある事なので、それは他の方にはなかなか体験することが出来ない貴重な経験としてしていきたいと考えています。

もみじホールには葬儀経験の長い方もおられるので、また皆さんの体験談もあれば聞いてみたいと思います。

施餓鬼

2019
08/02
葬祭部の杉上です。

子供の頃から「せがき」という言葉は、よく耳にしていましたが、大人になってから漢字で見た時には『こんな字を書くんだ!』と、少々おどろきました。

「餓鬼」とは、仏教の六道と呼ばれる世界の一つで、餓鬼道と言われます。生前の自らの悪行により餓鬼道へ落ちると、餓鬼という鬼になってしまい、餓鬼になったものは常に飢えやのどの渇きに苦しんでいると考えられていて、そういう餓鬼にも食べ物などの施しを与えることを「施餓鬼」と言われています。

「施餓鬼」の由来は、救抜餓鬼陀羅尼経(くばつえんくがきだらにきょう)というお経にあると言われています。
お釈迦様の弟子の一人である阿難(あなん)が、餓鬼に死を予告された際に、お釈迦様の教えに従って、陀羅尼(だらに)を唱えながら餓鬼に食事を施したところ、その功徳によって餓鬼が救われ、阿難も寿命を延ばすことができたということです。こうした説話にもとづいて、先祖供養とともに餓鬼の供養も行うことで、徳が積めると考えられていたためか、お盆の時期に行われることが多いそうです。

毎年、聞いていた言葉も意味が分かれば、大事な行事であることが理解できます。毎年、親まかせにしているお盆行事、今年は私もお参りに行こうと思います。

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父の手術

2019
07/26
葬祭部の杉上です。

久しぶりにブログを書いています。

6月初旬に、お腹の調子が悪いと言っていた父に、がんがあることが分かりました。

5年前に心筋梗塞で倒れた時は、突然の事とはいえ急を要することなので、すぐに手術されベッドに寝ている状態の父に面会して、後は回復を待つだけでした。
心配はあるけど良くなっていくという安心がありました。

けど今回は違いました。

"がん告知"が、こんなにショックを受けるもので不安にさせるものだ、ということを経験しました。

母から仕事中にLINEでがんの事を知らされて、電話が欲しいと書かれてありましたが、ショックが大きく言葉にならず泣いてしまいそうだったので、電話はできないことを伝えて、しばらくはLINEだけのやり取りをしていました。

気持ちが落ち着いてから、父と母に出会って話をしたので涙を見せることは有りませんでしたが、抱えている不安が大きかったので知り合い方に話をすると、涙目になっていました。

不安な気持ちを抱えながら手術日を迎え、当初7時間かかると聞きいていた時間を大幅に超え、13時間もの大手術となりましたが無事に終わりました。

術後の経過も順調で、今こうしてお話しできる気持ちになりました。

手術を迎えるまでに、母がもしもの時は‥と私によく言ってきていました。
私も頭の中では、もしもの時は‥こうしようと考えています。

そして父も、もしもの時は‥でエンディングノートを書いていることを母から聞きました。父にエンディングノートを渡したのは、もう6年前になります。やっと書く気になったようです。母は目を通したようですが、私はまだ見ることが出来ません。そういうとこはアカンタレの私です。

しばらくは手術が成功した安心感と、お盆までに退院できそうなので、にぎやかなお盆を過ごせる事を楽しみにしています。









母の十三回忌

2019
04/06
もみじ市民ホールの義積です。すっかり桜の季節になりましたね。

先日母の十三回忌を行いました。母は桜の季節に発病し、一年後に亡くなりました。法要当日は菩提寺のお寺様と私と兄の三人の法事でした。

法要の後にお寺様がお話されました。「法要は、普段会えない者同士が顔を合わせ、ご先祖様や故人様に手を合わせること。ご先祖様の前で自分は正しい生き方をしたかどうか自分自身を見つめ直すこと。」とおっしゃいました。

法要は故人を偲び、冥福を祈るために営むものです。故人があの世でよい報いを受けてもらうために、この世に残された者が供養をします。十三回忌は命日から満12年経った年に行います。十三回忌以降は、3と7の回忌法要があり、三十三回忌か五十回忌法要で、弔い上げとなります。弔い上げをすることで、故人の霊は先祖となって、子孫を守ると考えられています。

私の両親はこの世にいませんが、桜の季節には母を思い出し、雪の季節には父を思い出します。何年経っても思い出は色褪せる事はありません。法要でなくてもその季節には、亡くなった人を思い出しますね。

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丹波市の人口

2019
03/13
葬祭部の広田です。

最近、甥っ子の授業参観に顔を出してきました。甥っ子は私が通学していた小学校に通っているのですが、私が通学していた当時より、児童数がかなり減っていて驚きました。

私が小学生の頃(20年前)は1クラス32名が2クラスありましたが、甥っ子の学年は1クラスだけで34名ほどでした。自分の時と比べると人口が減少していることを実感しました。

丹波市のホームページに、人口推移のページがあるのでそれを見ていると、ここ数年の人口の減少がよく分かります。15年前まで丹波市の人口は73,391人、今では64,597人です。15年前と比べると春日町では1,500人、山南町では2,300人減っています。


確かに私の同級生だけを見ても、小学校の同級生が丹波市にいるのは65名中多くて15名程度でしょう。
仕事内容や利便性を考えてのことでしょうが、少し寂しく感じてしまいました。
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