仏事における6つのタブー

葬祭部の門脇です。

私が葬儀の仕事を始めたころはまだまだ葬儀や仏事ごとに置いてタブーというものがいくつか強く残っていました。その中でも代表的なものを6つ紹介したいと思います。

1,忌み言葉を使ってはならない

忌み言葉とは、不幸を連想するなど、縁起が悪い為避けられる言葉です。例えば、「重ね重ね」「返す返す」「くれぐれも」といった重ね言葉や、「追って」「再び」のような言葉は、不幸が重なることを連想させる言葉でありタブーとなります。「消える」「迷う」「苦しむ」などの不吉な表現もできるだけ避けましょう。また、「死ぬ」「生きる(生きていたとき)」などの直接的な言葉は、「ご逝去」「ご生前」といった言葉に言い換える必要があります。

2,ご法要は祥月命日より後に行ってはならない

祥月(しょうつき)は亡くなった月、命日(めいにち)は亡くなった日という意味を持つ言葉です。祥月命日とは、一周忌以後の故人様が亡くなられた月日を指す言葉です。一周忌をはじめとするご法要は、祥月命日に執り行なうのが良いとされていますが、実際には、ご寺院の予定に合わせたり、参列されるご親族のご都合がつきやすい週末にずらして行なわれることがほとんどです。ご法要を行う時は必ずそれより前に行わなければなりません。その理由としては後にすれば仏様を蔑ろにしたなど、祥月命日に故人様が仏になるための裁判を行うのでそのためのお経でもあるとされます。

3,御香典に新札を用いてはならない

結婚式などのご祝儀では新札を使用しますが、葬儀の香典については新札を用いてはなりません。理由としては新札を用いるということは亡くなる準備をしていたということになるからです。

4,神棚封じはご遺族がしてはいけません。

棚封じとは、神棚を半紙で覆って見えないようにすることです。神道では、死を穢(けが)れとして考えているため、ご家庭の中の誰かが亡くなった際には、神様に穢れを近づけないよう神棚を封じます。ご遺族が神棚封じを行なうケースも多いようですが、神棚封じは、穢れが及んでいるご遺族ではなく、第三者が行なうのが良いとされています。

5,忌明け法要が三か月に跨ってはいけない

忌明け法要とは、亡くなってから四十九日後のご法要のこと。亡くなった方は、亡くなってから四十九日(七七日)目に旅を終えるとされています(浄土真宗は、「即身成仏」という考えから、旅をするという概念がありません)。忌明け法要が3か月にまたがると、「四十九日(しじゅうくにち)」と「三月(みつき)」の語呂合わせで、「始終、苦が身につく」とされています。他にも色々ないわれがあるのでいろんな人に聞いてみるとおもしろいです

気になる場合は、三十五日(五七日)で忌明けとすることもありますが、四十九日(七七日)までの旅路には意味があるので、無理に早める必要はないでしょう。逆に先延ばしにすることは、年忌法要と同様にタブーとされています

6,友引に葬儀を行ってはならない

友引とは六曜の一つです。友引にご葬儀を行なうことはタブーであるという考え方は、全国各地で根強く残っている風習です。「友引」すなわち「友を引く」という言葉から連想し、友引にご葬儀を行なうと、ご友人があの世へ引き寄せられる、ご不幸が続くなどと考えられています。そのため、友引の日に火葬場が休業する地域も少なくありません。しかし、元来、友引という日は、勝負ごとの決着がつかない良くも悪くもない日のことです。また、そもそも六曜は仏教とは関係がありません。というわけで、友引にご葬儀を行なってはならないという風習は、迷信に分類されます。

実はこのタブーといわれていることですが、面白い事にほとんどが仏教の教えとは関係のないことだったりします。民間的にできた風習の名残りがほとんどになります。