父の七回忌

葬祭部の義積です。

先日は姫路の好古園へ紅葉の撮影に行きました。次の休みは園部町のもみじの有名なお寺へ車を走らせました。色とりどりの風景に今年も楽しむことができました。秋も終わりになり、12月に入ります。冬は冬の風景があるので、1年中ワクワクしています。

夢の中で亡くなった両親の姿を見ました。姿を見た時(長いこと話していないな)と思った瞬間、目が覚めました。夢の中でも出会えて嬉しかったです。両親が居ない事は寂しいことですが、四六時中思う事はありません。それでも毎朝仏壇に向かいお線香をあげて鈴(リン)を鳴らした時は、両親を思い出します。

作家でもある臨済宗妙心寺派の福聚寺ご住職の玄侑宗久(げんゆう そうきゅう)さんの著者に年忌法要について書いてあります。百箇日(ひゃっかにち)の別名に百朝忌というものがあります。少しづつ昼間の「いない」に慣れていきますが、夜眠り朝目覚めた時「あ、いなかったのか」という朝を百日ぐらいは過ごすでしょう。という意味です。また、一周忌は「小祥忌」、三回忌は「大祥忌」、七回忌は「超祥忌」と言います。「祥」と言う字は、初めは「わざわい」という意味でした。羊という生贄(いけにえ)を祭壇に供えるというのは「わざわい」があったからです。「羊」は自己犠牲、献身的な回復の努力という意味より「さいわい」に転じました。つまりこの「祥」という意味自体が「わざわい」から「さいわい」に変わります。一周忌では「ちょっとだけめでたい」兆しが芽生え三回忌には「おおいにめでたい」となり、さらに七回忌には「めでたいもめでたくない召えた状態」になりましょうということです。

今年の十二月、父の七回忌を行います。あっという間に6年経ちました。父の好きだった日本酒と、オロナミンCをお供えします。