最期の意思

葬祭部の義積です。

タレントのロンドンブーツ1号2号の田村淳さんが書かれた、彼のお母さんの記事を読みました。久仁子さんは昨年8月にガンでお亡くなりになりました。「何かあった場合、うちは延命治療はせん」と久仁子さんはガンが見つかるずっと前からと繰り返しおっしゃっていました。それでもガンが見つかった後は延命治療について何回もご家族で話し合いが行われたそうです。
ふと私は64歳で亡くなった従姉妹を思い出しました。従姉妹は胃ガンが見つかった時点で余命1か月の宣告を受けました。「もう十分幸せな人生だったから辛い抗がん剤治療をしたくない」という本人と、一日でも長く生きて欲しいと願うご主人で意見が食い違い何回も話し合ったそうです。どちらの意思を優先させるかは難しいものだと思います。
田村さんは「延命治療を望まないことは、早く死にたいと思いがちですが、それは違う」と言われています。私もそれは終わり方の意思のひとつだと思うのです。家族会議をして、そのひとつを選択するということは、どちらかの意思を尊重したことになります。そうすることで、「お母さんがこう言っていたから、これで良かったんだ」と納得することができるのでしょう。